123bd4b0.jpg 舞台照明の世界に入った頃、照明はPARライトが全盛だった。「Parは航空機のライトを応用したライトなんだ」と自慢げに先輩が説明してくれた。どこの公共ホールにもあるわけではなく、そういう時、PARの代わりに筋を見せる為、凸のスポットを絞ったりした。またこの頃、フィラメントをずらして2本ビームを出したりするテクも教わった。ビーム照明はこの頃、派手なダンスが増えた演劇でも、トレンドな明かりだった。 フレネルスポットは丸茂のFQがまだ新しかった。カッタースポットは940がまだまだ全盛で、羽のまわりはハレーション出まくりだった。とてもカッタースポットと呼べない代物だった。もちろんソースフォーなんて想像もつかす、この頃の最新プロファイルスポットはITOだった。個人的には、ITOのセンタレスが断然かっこよかった。この頃は、本気ですごいと思った。  当時、ホールで仕事をする時、ベビースポットで「ホリあおり」とかやってた記憶もある。しつこくフィラメントの調整をさせられた。当時は日舞をよくやったから、ディスクマシンや箱波は常にスタンダードな機材だった。スライドキャリアのスポットもよく使った。きれいな雲(有名なデザイナーの名前がついた○○雲)は定番だった。センタレスのネタで画期的だったのは油ネタだった。あるコンサートのツアーでは油ネタを大切に保管して運搬する役目だったりもした。油ネタは貴重なアイテムだった。 コンソールはセルコがスタンダードで、あの大きな卓の前に立ってみたいと密かに思っていた。DMXはまだない。もちろんこの頃にライトパレットが話題になっていた。新しいコンソールのスタイルということで。ノンフェーダー卓という言葉が流行った。照明はこれから大きく進化しようとしている時代だった。  DMXが普及し始めた頃、DataFlashというプログラマブルなストロボが登場した。これをステージのレイヤーに大量に仕込む電飾さんを見て、これは電飾なのか?と不思議な印象と、電飾会社の拡大をなんとなく感じた。しかし当時、電飾さんは手作りの専用卓をつかっており、まさかその後、彼らがムービングライト卓を使うようになるとはまったく想像できなかった。 外国のバレエ仕事で、Paniを使って地明かりを作った。このときは、もうなんでもありだなと思うようになった。しかし今のような状況は誰も想像できなかった。そう、過去のある時点では想像できないことが未来には起こる。今はそんなばかな。と思えることも未来にはスタンダードになる。日々、進化することを求められるのがテクノロジーに立脚した仕事の宿命だが、コンピューターはすべての業種の基盤を支配してしまった。 はるか昔、照明のデジタル化というテーマで多くの人がそのテーマで話をしていたと思い出すが、彼らとて、LEDを光源にもつプロファイルスポットが誕生する時代をイメージできなかったろう。ロベールジュリアというフランスのトラディショナルなメーカーが写真のようなスポットをリリースした。今、光源、調光システム、プロトコルのすべてが変化している。再度、舞台技術は大きな時代の変化を目の当たりにしている。 Robert Juliat