1984、この年はコンピューターにとって記念すべき年だった。 この年、アップルが初代マッキントッシュを発表し、スーパーボウルのCMで巨大なスクリーン内の独裁者を、一人の女性がハンマーで破壊するという劇的な演出でパーソナルコンピューターの時代を世に知らしめたことでも有名である。そして、このCMから連想されるジョージオーウェルの「1984」という小説に登場するビッグブラザーという支配者をメインフレームと重ねてみる人は多い。

 そのビッグブラザーを破壊し、新しい時代を宣言するアップルという完璧なまでに計算された演出。そして、そのビッグブラザーが死んで、確かに新たな進化が始まった。 今にしておもうとアップルの誕生はまさに今のコンピューターの劇的な進化の起点だった。

 コンピューターは90年代に入り、驚異的スピードで進化し、コンピューター市場を一般家庭にまで拡大させ、われわれの世界、演出技術分野においても、音の編集、映像編集、照明制御、そして映像制御に至る、すべての分野でその効果があらわれている。 そして、このブログで何度も書いた通り、私は2007年の3月にリリースされたインテルMACにより、カタリストは蘇ると確信するとともに、ハイエンドという呪縛からも解放されたその瞬間こそが、今のカタリスト誕生のきっかけだった。

  それは大きな賭けでもあったが間違いではなかった。Appleは過去に不安定なイメージを与え続けた負の遺産であるOS9を切り捨て、BSDの系譜にあるユニックスベースのOSXで堅牢なオペレーティングシステムを誕生させてくれた。これをきっかけにして、カタリストの安定性は確実なものとなり、これまであった不安定なイメージを完全に払拭した。 間違いなく、この高い安定性の面でも、また高画質な映像再生の面でも、カタリストがMACを選択したことは間違いではないだろう。Richard Bleasdaleの先見性には感嘆する。

 加えて、メディアサーバーという新しい映像制御のソリューションを生みだし、照明と映像の境界に位置する新しい分野を誕生させたことでも、カタリストがいかにこの世界にとってイノベーションの要素をもっていたか。この点でもリチャードが天才的で先進的発想をもっていたかを感じずにはおれない。
 時々思うのは、自分はカタリストの単なるファンの一人であり、アップルのファンなのかもしれない。その驚異的な技術と発想力に魅了された世界中に存在するサポーターの一人なんだと。  

今、1984の伝説的CMから26年が経ち、また新しいコンピューターの時代がiPadで生みだされようとしている。それはまたしてもAppleの手によるものだ。しかし今度はマスメディアを通した、センセーショナルなCMは必要なく、熱狂的な支持者たちが個々にインターネットを通じて彼らの偉業をたたえるメッセージを発信し、その熱意は世界の隅々まで一瞬にして届く。そんな時代になった。

 ビッグブラザーのような情報を恣意的に操作する者はなく、個々につながる人々の間で正しい情報が共有されるという世界。それは結果的に新聞やテレビといった既存メディアの存続が危ういものになるという現実もはらんでいるが、時代の変化とはそういうものだろう。時代は大きく変わったなとつくづく思う。